近ごろは設備も整って、街中でも人魚の姿をよく見かけるようになった。スパリゾートとか、プールの監視員とか、けっこう求人も増えてきているらしい。
僕たちがこどものころは、まだ彼らとの距離がすごく遠くて、お互いに別世界で生きているような感覚を持っていた。そんな中で、数少ない「共学」の小学校に通っていたとはいえ、僕が彼女とそんなに親しくなれるはずもなかったのだ。
彼女が引っ越してきたのは、四年生の春だった。教室の窓から釣りができるくらい海に近かった校舎は、もともと共学用に設計されたものではなかったけれど、同じ黒板を覗くには充分だった。同級生は僕と彼女を含めて五人で、人魚は全校で彼女ただひとりだった。
だから彼女は目立つ存在で、僕らの学年はけっこううらやましがられたものだ。とはいえちいさな学校だったし、朗らかで気さくな彼女は、すぐに全校児童と交友を結んだようだった。
いまになってこんなことを思い出すのは、きっと今日ポストに入っていた手紙のせいだろう。
『社会人になる前に、ちょっとみんなで集まりませんか』
パソコンとプリンターを通して届いた文字に、なんだか時の流れを感じる。差出人は、同級生のひとり、彼女といちばん仲が良かった女子だ。
いままでこういうたぐいの誘いに乗ったことはなかったが、たまにはいいかと思って、参加にマルをつけて返送した。その葉書は、なぜだかあの海辺の景色につながっている気がした。
◇
「変わらないんだねぇ、藤崎くんは」
「コイツはコレがいいの、このぬぼっとした感じが」
なにげに失礼なことを言って、羽柴が肩を叩く。それもそうね、とか言っているのが手紙の差出人、菅野。遅れてやってきたのは佐々木。高校時代の友人たちですらすでに忘れかけている僕のことだから、こいつらの顔なんてわからなくなっているだろうと思ったが、案外ちゃんと覚えているものだ。
篠原は、と口々に訊く。
「ああ、住所とか、わからなくて」
と、紅一点の菅野が言う。
集まったのは、四人。ただひとり、彼女だけがいなかった。
待ち合わせ場所を聞いたときから、なんとなくそうだろうなとは思っていた。ガッチリとタイル舗装された古い駅前商店街には、人魚用の通路はない。
このあたりは、本当にずっと変わらない。それにしてもよく集まったものだ、と思ったが、よく考えたらみんな入社式前の最後の春休みで実家に帰ってきているんじゃないか。しかし聞いてみると、大学院に進んだりすでに働いていたり、はたまた結婚して主婦になっていたり! と、けっこう多種多様な人生を歩んでいるようで驚いた。
彼女は。
篠原ルリは、どうしているだろう。
廃校が決まったのは、五年生の夏だった。その年の夏休みの図書室のにおいや、宿直の先生の汗かき顔はよく覚えている。毎日のように学校に集まって、日が暮れるまで遊んだ。
教室のベランダから海に飛び込んで、彼女の持つ旗をゴールに競争した。それから、自由に泳ぎ回る彼女の、しぶきを上げながらきらめく尾びれにみんなで見惚れた。
六年生になって、僕ら四人は彼女を残して山側の小学校に移った。
そして、卒業の春。立ち入り禁止になった海辺の小学校に集まって、彼女を含めた五人で卒業式をやろう、という話になった。
僕は卒業証書を作る係で、ヘタなりに一生懸命作っていたような気がする。だけど、僕は行かなかった。直前で、行くのをやめたのだ。
その後どうなったのかは知らない。中学になってクラスもわかれたし、高校はそれぞれ市外へ。連絡先も交換しないまま、今日まできた。
◇
菅野の話によると、当時の彼女の住所に送った手紙は返ってきてしまったのだという。通える学校もなくなったわけだし、あのあとすぐに引っ越したのかもしれない。人魚の場合義務教育制度はないから、それは関係ないのかもしれないけれど。
そんなことを考えているうちに、いつの間にかあの小学校の前まで来ていた。潮風が頬をくすぐる。
「すっかり廃墟だな」
もう児童が駆け回ることもないグラウンドには無数の雑草が蔓延り、僕らの侵入を拒んでいた。咲き始めの桜だけが、青空に美しい。
そういえば、彼女がよく言っていた。海底にも、こんな花が咲けばいいのに、と。研究をして、いつか実現させるんだ、と。
――ああ、そうか。
そこでようやく、思い至る。
だから僕は、無理してでも大学に進もうと思ったんだ。
「今度会うときは、ルリも来られればいいんだけどね」
菅野がポツリと呟く。そうだな、と僕は答えた。
青い波にちらされた花びらが、ゆらりと彼女の頬をかすめてゆく。そんな光景が、そのときには見られる気がした。
そうしたら、今度こそきっと渡そう。汚い字の卒業証書を、おめでとう、と、笑顔を向けて。
初出:One for All , All for One……and We are the One【VOL1】
(東日本大震災チャリティアンソロジー)
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