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台風15号による被害と県とかの対応と私の精神状態が変化していく過程についてのレポート


どうもこんにちは、チーバくんの民、井中まちです!

こちらは2019年9月8日深夜~朝にかけて我らが千葉県を通過した台風15号による災害と、それによって私の精神状態にどのような変化がもたらされたかということを「いち創作者」目線でまとめたレポートです。

できるだけ重くならないよう(私自身の精神のためにも)、ところどころおどけたりなどもしますが、茶化したりする意図はまったくございませんのでそれだけご理解いただければと思います。

また、災害だけでなく、政治に対する不満や人の悪意についても触れたりしますので、ちょっと読むのがつらいなという方は閲覧を避けていただけますとお互いに傷つかなくて済むんじゃないかなと思います。

 

※めちゃくちゃ長いです

さて、ではまず、私の居住地についてややぼかしつつお話したいと思います。

上の図をご覧ください。こちらは、災害発生から3日目の9月11日深夜当時の千葉県内停電情報です。

私が住んでいるのは北部、チーバくんでいうと側頭部っていうか目のちょっとうしろあたりっていうかまあ要するに茨城県に接している赤い地域です。

お察しのとおり、かなりの世帯で停電・断水が発生していた地域ですが、私の家のあたり(わりと市の中心部)だけは無事でした。

(あとでわかったことですが、このあたりは大きな祭りのときに山車が通るため、主要な送電線を地中化していたのが助かった理由のようです)

とはいえ、ほんの少し歩けば停電・断水地域。そういったところからこちらまで食料や飲料、ガソリン等を求めてやって来られる方がたくさんいました。

図にするとこういう感じです。

がんばってマウスで描きました。

本当にすぐそこが停電・断水地域というのがおわかりいただけたようないただけなかったような気がします。

ちなみに同じ市内にある職場は停電・断水が続き、仕事にならないため結局1週間休みとなりました。

(正確にいうと自宅待機です。そのうち1日だけ短時間勤務しました。上司の皆さんはずっと出勤されてました。本当にお疲れ様です)

そんな感じで急遽夏休み状態となったわけですが、その間の私の心境の変化等がものすごく創作の参考になりそうだったので、せっかくだからまとめておこうと考えた次第です。

それでは、こういうところに住む私が体験し思ったことを、災害発生直後から時系列でまとめていきたいと思います。

 

 

~1日目~

これは9月9日(月)の朝、6時ごろ~9時30分ごろにかけての私のツイートです。

(Twitterなので、基本的には下から上の流れになっています)

 

完全にうかれてますね。

さながら臨時休校を喜ぶ学生のごとく。

(勤勉な学生の皆さんすみません。私は常に休校になればいいなと考える学生でした)

 

起床した直後(6時ごろ)は、まだ自宅周辺は暴風域の真っただ中にありました。

早朝であることも重なりまだ外に出る人も少なく、被害状況もほとんどわかっていなかったため、本当に無邪気に喜んでいます。

この時点で普通に考えて社会人としてどうなんだという気もしますが、私は基本駄目人間であることをまず明記しておきたいと思います。恥の多い生涯を送ってきました。……ああーっすみません!太宰治大先生すみません!

 

そして暴風域を完全に脱した9時30分ごろに、職場及びその周辺の状況を確認した上司から「自宅待機(=実質休み)」の指示が出たのですが、それまで私は市内(主に職場まで)の道路の様子をTwitterで確認していました。

こういうときに現状報告をしてくれるツイートは本当にありがたいですね。

それらによって、駅前の道路冠水、職場に向かうまでに通る道も冠水、市内で一番大きいショッピングモールも冠水、飛んだ看板や屋根等が道路に散乱、倒木や建物の倒壊により通れない道がある、ということがわかりました。

(そのため、自己判断で自宅待機していました)

 

しかしそれでもなお、私は「わー、今回の台風ほんとひどかったんだなー」くらいにしか考えていませんでした。

千葉県は、台風が上陸するということがほとんどありません。ですから、それらはただ「珍しい光景」として私の目に映りました。

我が家は停電等がまったくなかったというのも一因だと思います。

そしてこのはしゃぎっぷりである。

 

なめとんのかマジで。

(なめてました。完全になめきってました)

 

しかしいま見ると最初の停電すさまじいですね……91万戸って……千葉県内だけでも63万3600戸。

が、この数字を見ても、私はいつもどおりすぐに復旧すると思っていました。

ちなみにこの後、私の住む市だけでなく千葉県全体が陸の孤島になっていることを知り、私のテンションはさらに上がります。

いや「千葉県からは出られません」てwwwなんなんwwwウケるwwwってな具合です。

 

しばらくたつと、東京や千葉県内の電車の一部が復旧したというニュースが流れ(これは本当にごく一部だったとのちにわかりました)、出勤しようと長蛇の列を作る人々を見て「いやもう休みにしてやれよ……まあ僕は休みですけどぉー!」みたいなことを思ったりなどしていました。

この時点で、「ああ、いつもの日本になったな」と安心したわけです。それもどうかと思うけど日本。

このころはまだ悲惨な被害状況も報道されておらず、被災地からの発信もありませんでした。

当然ですよね。だって電気も電波も使えなかったんですもの。しかし、そういった事実を、私含め多くの人が知らないまま過ごしていた、というのが、この9月9日だったように思います。

 

 

~2日目~

明けて、9月10日(火)朝の私のツイートです。

ようやく事態を把握し始めた感じですね。しかし、「まあ明日には復旧するだろう」と思っていることが見て取れます。

正直、この時点でまだ復旧していないとは思っていませんでした。

「今日は仕事か~、あーあ」と思いながら起床したのです。

ところが、まだ出勤できない状態であることがわかり(停電に関しては、職場に電話をかけてみることで状況を把握していました。電話がつながらなければ復旧していないので自宅待機、上司の指示を待つ、というふうに前日取り決めがありました)、2連休じゃんラッキーという気持ちと、あれこれはもしかしてやばい状況なのでは?という気持ちが半々といったところでした。

 

たしかこのあたりで、折れた送電塔の映像を見たのだと思います。明らかにいままでの台風被害とは違っていました。

が、それでも「さすがに明日は復旧しているだろう」と考えていたあたり、本当に何もわかっていなかったのだなといまになって思います。

これはあまり深刻な感じではなかった報道と、東京電力の当初の見通しにも影響されてのことだと思われます(この見通しに対しての批判も見かけますが、これはもう仕方がないと思います)。

とにかくこのとき、報道は内閣改造に偏っていました。

一応台風被害に関しても報道はされていましたが、明らかに比重は軽く、また(これは現地からの情報がまだ収集できていなかったというのもあると思いますが)決定的に「やばい」と感じる映像もありませんでした。

 

この日の私のリツイートを見ると、台風に関しては「災害派遣要請を受けて自衛隊が派遣された」というニュースと、千葉県内の給水場所についての情報、そして「Twitterには深刻な被害の状況や援助を求める投稿が相次いでいる」というニュースだけです。

まだ自身でその「深刻な被害の状況」等を発信しているツイートを目にしてはいませんでした。

一応自分で現状報告もしていますね。

もう少し当時の自宅周辺の状況を詳しく書くと、ツイートにあるとおりガソリンスタンドはほとんど閉まっており、唯一開いていた大きめのスタンドには長蛇の列、というか渋滞ができていました。

 

このときはじめて外の状況を確かめたのですが、倒木は一応片付けられているものの歩道に積み上げたままの状態、折れた枝は散乱したまま、いまにも折れそうな枝が行き交う人々の頭上でぶらぶらしているなんて光景もありました。

折れたり壊れて飛んだりした看板は、とりあえず歩道や車道のわきによけられていました。

(15日=災害発生から7日目現在、その光景は変わっていません)

自宅周辺のスーパーやコンビニは普通に営業しており、食料や飲料には困りませんでした。

ただ前述のとおり、すぐ隣は停電・断水地域というような状況でしたので、そちら側(店が集中している地区)は悲惨な状況でした。

 

ここからは、その日の夜に、退勤してきた家族から聞いた話です。

家族の同僚の方の多くは、停電・断水地域にお住まいでした。9日はそもそも出勤できなかった方も多く、勤務先で携帯の充電をされていたようです。

このころ、私たちの住む地域でもまだ電波障害が発生しており、たとえ充電できても情報収集は満足に行えない状態でした。

(固定インターネット回線は無事でしたので、wifiが使えればその点は大丈夫でした)

前日から猛暑が続いており、肉体的、精神的にかなりつらかったはずですが、逆にこちらを気遣ってくれるという方ばかりだったようです。

 

私は日中、普通に創作のことを考え、ここぞとばかりに原稿を進めていました。

心配していたのはガソリンのことくらいで、ツイートもどうでもいい呟きや創作関連のことが多いです。

 

 この日、森田健作千葉県知事が自衛隊災害派遣を要請。

大規模停電という二次災害による死者が出たあとでした。

 

夜は雷雨となり、停電復旧作業にも影響が出ました。

 

 

~3日目~

9月11日(水)朝のツイートです。

文面にも多少にじみ出ていますが、私の心境に決定的な変化が表れています。

このとき私の胸にあったのは、猛烈な罪悪感でした。

ここまでお読みくださったのなら、理由は言わずともおわかりいただけるかと思います。

 

ここにきてようやく、被災地からの叫びがTwitter上にあふれるようになります。

私は狂ったようにそれらや給水所等の情報をリツイートしました。

鎌倉や伊豆大島も甚大な被害を受けていることをこのとき初めて知りました。

朝食を食べながらニュース番組を見ると、「千葉県の一部で」停電が続いていると報道されていました。

実際には、冒頭の画像の通り、「ほぼ全域」です。

停電軒数は正確には覚えていませんが、たしか40~50万戸ほどではなかったかと思います。

 

創作のことは考えられなくなりました。

というか、なにも手につかなくなりました。

TLに流れる日常ツイートを憎むようになりました。

いま思えば、罪悪感をまぎらわせるためというか、完全に八つ当たりでしょう。

というよりは、なぜか私自身が被災者であるように錯覚していたとでも言いましょうか。

前日まであんなにも無関心であったにもかかわらず、です。

最低です。どの面下げて被災者ヅラしているのかという感じです。

 この日、組閣人事の盛り上がりがピークに達しており、災害についての情報を集めようとつけたニュース番組では安倍首相からの電話を待つ議員の皆さんが映っていました。

少なくともその画面の中では、だれひとりとして、台風の災害に関心を向ける人はいませんでした。

電話を受けて笑っていました。

 

夕方18時。

東京電力から停電復旧作業についての会見があるということで、テレビをつけました。

そこに映っていたのは、内閣改造についての記者会見をする安倍首相でした。

台風による災害については何も言っていませんでした。記者からも質問はありませんでした。

(これはのちにわかったことですが、一応冒頭に言及してはいたようです。ただ、もしそれを見ていたとしても「何をいまさら」とか「これまで一言も触れなかったくせに」としか思わなかったでしょう。自分のことは棚に上げて)

 

その無関心に絶望しました。そして気づきました。

あ、これよく架空歴史ファンタジーとかで見る状況だ。

私も為政者がいてなんやらかんやらな物語を書いていますから、この感じはもしかしてすごく参考になるのでは……と考えて一瞬だけでも気がまぎれたのは、本当に創作脳でよかったなと思ったことです。

なるほどこれがリアルな民衆の気持ちなんだな、と。

これをきっかけに、「無関心」が異様に気になるようになってきました。

情報を拡散しようとリツイートしても、反応してくれる人は少ない。

京都アニメーションさんの事件のときはみんなあんなにすぐ反応してすぐ支援しようとしてたのに、とか、本当に申し訳ないんですが勝手に憎しみを抱いたりなどしていました。

ひとりよがりの、身勝手な正義感です。

私はのちに小説の登場人物に「人が人に害を与えるとき、そこに悪意はほとんどない。あるのは相いれない正義だ」というようなセリフを言わせる予定があるのですが、その持論が自身によって証明されてしまった瞬間でした。

よってこのセリフは絶対に出さなければならないセリフになりました。

 

さらに情報収集をしようとTwitterでいろいろ検索したのが間違いでした。

「東京すぐそこなんだから遊びにでもいけば?」とか、「たかが停電」とか、「地震と違って何千人も死者が出たわけでもあるまいし」みたいな言葉を見てしまったんですね。

いま思えば、こういう方々は状況を知らなかったのでしょう。

だからといってこれらを容認することなど到底できませんが、それだけ正確な情報が伝わっていなかったということなのだと思います。

 

もうこのあたりの心境はドロッドロでしたね。

何に対しても怒りと憎しみがわいてくるみたいな。

本当におかしな話です。

自分だって無関心だったくせに。

 

これが他の地域での出来事だったら、私だってほとんど無関心だったでしょう。

事実、いままではそうでした。

そうではないつもりでしたが、そうだったのだと痛感しました。

募金などは自己満足でしかなかったのだと思いました。

私は何もしてこなかった。

 

人を絶望に落とすのに最も効果的なのは「無関心」だと再認識しました。

これも自身の経験から創作の中でちょいちょい書いてきたことなので、改めて正しかったのだと証明されたのはよかったと思います。

そうそう、「笑うしかない」という言葉の本当の意味も知りました。

たしかこの時点で、台風自体による死者1名、二次災害(熱中症)による死者は2名になっていたと思います。

 

このツイート後、しばらくTwitterを離れて入浴等を済ませ、いくらか冷静になった私は再び罪悪感と無力感に打ちひしがれます。

この日も、夜はひどい雷雨になりました。

夜空がずっとまぶしくて、なかなか眠れませんでした。

 

 

~4日目~

9月12日(木)。この日、私は夜22時ごろになるまで一切ツイートをしていません。

Twitterに触れられる精神状態ではなかったからです。

 

前日の夜、私はおかしな夢を見ました。

鵜堂刃衛がめっちゃ人助けする夢です。

(※鵜堂刃衛は漫画『るろうに剣心』に登場する名悪役です)

 

いやなんで。

ほんとなんで。

 

なんで鵜堂刃衛なのかはさっぱりわかりませんが、しかしあの鵜堂刃衛でさえこんなに率先して人助けをしているというのに、私はただおろおろとそれを見ているだけでした。

(ちなみに夢の内容は台風とは関係なく、なぜか現代的な戦争により傷つけられた血だらけの人々が我が家(という設定のなんかすごく立派な日本家屋)に次々と逃げ込んでくるという感じでした。そこに颯爽と現れニヒルな笑顔で人助けをする鵜堂刃衛。超かっこいい)

ほんとマジでなんで鵜堂刃衛?という謎だけは残りますが、まあそんな夢を見た理由はなんとなくわかります。

 

せめて仕事だけでもさせてほしい。

そう願いながらも布団の上に寝転がり、本当になにもせず無為な時間を過ごしていました。

そんなときです。

上司からの電話。

「ごめん、書類の処理の仕方がわかんなくってさ、ちょっと今日だけ出てきてもらえる?」

 

出勤をこんなにうれしいと思ったことはありません。

私にもまだできることがある、まだ必要とされている、と、本当に救われた気持ちでした。

 

とはいえ職場はまだ停電・断水しています。

できることはそれほど多くはなく、空調の効かない薄暗い事務所のなかで、PCだけは発電機で使えるようにして、書類の処理と引き継ぎを済ませて私は午後13時に退勤しました。

連日猛暑の中で仕事を続けていた上司の皆さん(家の電気が復旧していない方もいました)は、まず一番に私のことを気遣ってくれ、「復旧の見込みが立たないので明日から夏休みで」とその場で指示をくれました。

(もともと私は翌週に夏休みを取っており、その期間を状況に合わせて伸ばしたという感じです)

 

出勤時、退勤時、そして勤務時間中、私は停電でひっそりした町並みのなか、車道脇に転がる看板をよけながら走る見慣れない車をたくさん見ました。

それは、自衛隊の車、関西電力の車、東北電力の車です。

不覚にも、涙が出ました。

 

帰りがけに買い物をしようとショッピングモールに行くと、疲れた表情の方々が店内のベンチで涼んでいました。

おそらく、まだ復旧していない地域にお住いの方だったのでしょう。

お昼休憩だったのでしょうか、電力会社の方の姿もたくさん見かけました。

 

そしてこの夜、TwitterのDMを通して私に直接物資支援を申し出てくださった方がいらっしゃいました。

とても丁寧な、心からこちらを気遣ってくださる文面で、そこまで気にかけてくださっていたのだと本当にうれしく思いました。

(我が家では特に困ったことはなかったためその旨をお伝えし、県内の現状と足りない物資の情報、どこがとくに被害が大きいかをお伝えしました)

同時に、「私はそこまで被災者ヅラしていたのか」と恥ずかしくなりました。再び罪悪感に呑まれました。

(その方を非難するような文章になってしまい申し訳ありません。そんなことはまったくなく、その方には本当に心から感謝しております。私が駄目なだけです)

 

それから少し考えた末に発信した、その日の最初で最後のツイートがこちらです。

※本当はこの下にもうひとつ続くのですが、居住地の具体的な地名が書いてあるためここでは省きます。

これらのツイートは発信後すぐに多くの方がリツイート、いいねしてくださり、「本当に見捨てられていなかったんだ」と感動しながらも、私自身の偽善者っぷり、相変わらずの被災者ヅラにとことん嫌気がさしました。

 

その後どうすればいいかわからず、布団に寝転がりながら何時間も過ごしました。

深夜、Twitterで災害について検索していた私は、「支援したくても支援についての情報がない、もしくは錯綜していて支援できない」という声が多数あるのに気づき、支援情報を集めてツイートの下書きを作りました。

それから浅い眠りを経て、

 

~5日目~

9月13日(金)、朝のツイートです。

画像は途中で切れていますが、この時点での支援情報をツイート2つ分でまとめています。

せめて被災者ヅラはしないようにと、偽善者精神爆発した結果がこちらです。最悪です。

何が最悪って、このツイートに対する反応への、私の反応です。

画像をご覧いただければわかるとおり、これらはけっこうな数のリツイートをしていただいています。であるにも関わらず、私は「全然拡散されない!なんなの!?」と、このとき思っていたわけです。偽善者ここに極まれりです。

じゃあお前は被災地、被災者の皆さんのために何かしたのか、と小一時間問い詰めたくなりますね。本当に何様なのか。自分の仕事すらしていないのに。

 

この日もほとんど何もせず、私はほぼゴロゴロして過ごしています。いろんな方面に悪態をつきながら。

一度だけ外へ出て最寄りのコンビニに行ったのですが、なぜか台風通過直後は問題なかったコンビニの品ぞろえが、5日目になって極端に悪くなっていました。

これは私に多大なショックを与えました。

要するに、「明日は我が身だ」と思ったわけですね。最悪ポイントその2です。

 

で、この理不尽な怒りは県知事や市長に向かうことになります。

まあね。

実際県知事の対応は非常に遅かったと言わざるを得ないんですけどね、素人目に見ても。

3日目の夕方にようやく「国に助けを求めるべきかも」とか言ってましたからね。

とはいえ、あまりに状況がひどすぎて情報収集がままならなかったであろうこともまた事実です。

このころには県知事らの対応についても情報がいろいろ入ってくるようになっていて、その甘さ、遅さが浮き彫りになっていました。

しかしこれらが被災地には伝わっていない(停電、電波障害のため)のだなと思うと、何とも言えませんね。

とりあえず、現知事はもう千葉県知事になって10年半にもなるのですが、次回は絶対に落選するなと思った次第です。

(その前にリコールされるかもしれないし、次回立候補するのかもわかりませんが)

これらのツイートは主に市長に対しての不満をあらわしたものです。

この翌日、そして翌々日の土日に予定されている市の祭りが、予定どおり開催されるという情報がもたらされたからです。

前述のとおり、危険な状態の樹木が手つかずのままになっていたり、市内でもまだ停電が解消していない地区があったりするにも関わらず、祭りに相当な数の市職員を投入するという判断が、私には本当に信じられませんでした。

確かに、もう少し時間が経って、ある程度回復したころであれば、市を活気づけるためにもその判断は正しかったかもしれません。

が、少なくともいまはその時ではないだろうと思いました。

 

こういうと「自粛厨」と言われるかもしれませんが、違うのです。

本当に、そもそもそんなことをしている場合ではないのです。

(木更津の某音楽フェスに関しても「自粛」という言葉を見かけましたが、そこからもやはり情報が伝わっていないことが感じ取れました。木更津市は県の南部、つまり特に被害の大きい地域です。南部は建物や電柱の損害も多く、ほとんどの世帯で停電、断水が続き、解消もここからさらに2週間以上かかる見込みとされています。

ただこの音楽フェスに関しては、市の祭りと違って規模が大きく中止にするのも難しい部分があるでしょうし、これを利用して県外の方相手に商売をして復旧に活かそうとする地元の方の意見も目にしましたので、なんとも言えないところではあります)

 

ちなみに私が「これからもがんばってほしい」と言っている千葉市長はとても有能な方で、今回の災害に対してもものすごい量と質の情報を発信してくれたり、素早い対応で市外まで助けてくれたりしています。

(千葉市もまだ復旧していません。というか完全に復旧しているところはありません。千葉市長は以前からいろいろと先進的な政策を行ったりしています。うちの市長になってほしい。いやできれば県知事になってほしい)

まあ乱暴な言葉をTLに流して本当に申し訳ない……。

普段はこういうことはTwitter上では絶対に言わないんですが、やはり冷静ではなかったんですね。

フォロイー・フォロワーさんにも被災された方がけっこういらして、なんかもうほんと、申し訳ない……。

 

と、いうようなことを、このツイートをした直後にも思ったことを覚えています。

このときは、怒り、憎しみ、それをツイートの形にして発散したあとに自己嫌悪、そして怒り、憎しみ……ということを繰り返していました。

 

しかしそのとき、私を救ってくれたものがありました。

それは友とのLINEのやりとり、そして、Twitterでつながってくださっている皆さんのやさしさです。

 

友人は私を気遣ってすぐに返事をしなくても済むようにとメールを送ってくれたのですが、もうとにかくだれかと話がしたかった私がLINEでその返事を送ったのに対して丁寧に返信してくれて、楽しい話をしつつ災害についての話も聞いてくれました。

あれじつはめちゃくちゃ救われてた。本当にありがとう。

 

そのやりとりのあと、「いやほんと私いろんな方に心配かけすぎだろ……被災者でもないのに……一応正直に精神駄目ですっていいつつ、肉体的には元気でーすって言っておこう」と思ってこういうツイートをしました。

そしたらほら、ね。このいいねの数ですよ。

そして2件のリプライですよ。

リプライでは「申し訳ないと思わなくていい、ここで発散していい」とか「ほんとの意味で日常が戻らないと疲れちゃうよね」といったようなお言葉をかけていただいて、こういった数多くのあたたかさのおかげで、私はようやく戻ってくることができました。

「この人たちみんな無関心だ」とか思っていた自分を殴りたいです。

本当に申し訳ありませんでした。

そして、ありがとうございました。

 

 

~6日目~

9月14日(土)、これが、昨日のことです。

このとき、停電軒数は15万件。

倒壊した家屋の修復ももちろんまだまだ手つかずの状態で、しかしボランティアに行こうにも画像のような状況。

うしろめたさを感じつつも、私は文学賞のセミナーに行ってきました。

 

結果としては、本当に行ってよかったです。

 

このセミナーが東京で開催されていたため、参加者の方も東京の方が多かったのですが、ここでも千葉県から参加した私を皆さん気遣ってくださいました。

そして前日までにいただいたたくさんの方のあたたかさにより、私はその善意をちゃんと信じられるようになっていました。

 

なによりよかったのは、創作の楽しさを思い出せたことです。

 

この創作の時間が本当に楽しくて、創作を通して新しくできたつながりが本当にうれしくて、私はやっぱり、創作していないとダメなんだと思いました。

そう思えた瞬間に、前向きになれました。

 

これからも創作を続けよう。

何があっても続けよう。

自分が経験したこと、感じたこと、ポジティブなこともネガティブなことも、全部創作に変換していろんな人に伝えよう。

そして何かを感じていただけるのなら、きっと私にもできることがある。

 

 

~7日目~

9月15日(日)、本日です。

災害発生から1週間が経とうとしています。

 

未だ、千葉県内では11万軒あまりの停電が発生しています。

屋根が落ちて崩れた建物、倒れた電柱、倒木……そこらじゅうにあります。

二次災害(熱中症等)による死者は4名、台風自体の被害による死者と合わせると5名になりました。

県外、伊豆大島等の被害も深刻です。

どの地域も、ほとんど復興への足掛かりすらつかめていません。

 

私は今、ほぼ平常心を取り戻しています。

Twitterも普通に見られます。

おかしな恨みを抱くこともありません。

市長や県知事に対する怒りはありますが、まあこれはどうしようもないかなと思っています。

選挙にもっとまじめに参加しようと思います。

 

ツイートにあるように、明日からしばらく旅行に行ってきます。

しばらくいろんな情報から離れて、山の中で、浮かんでくる物事と向き合いたいと思います。

 

そして戻ってきたら、自分にできることをやろうと思います。

持病があったり、体力がなさすぎたり、経験がなさすぎたり、いろんな条件が合わなくてボランティアはできそうもなく、それがまた後ろめたかったのですが、それ以外のところで、少しでもできることをやろうと思います。

 

そしてこの経験を創作に活かそうと、強く、思っています。